いとおしいもの


「あうう〜、ヒドイです〜。あんまりですぅ」

 そう言って彼女はボロボロと床に宝石のような滴を零していた。目はその前にも泣いていたのか充血しているようで赤くなっていて、目元も少し皺になっていた。

「ああっ! 泣かないでくれ。すまないと思っている。いや、すみませんでした! この通り!!」

 そう言って拝むように手を頭上に持っていき、神でも拝むように謝っているのは、このトゥスクルの最高権力者、つまり皇であるハクオロだった。

 なぜ、一国の皇であるハクオロが、目の前の泣いている少女にこうも頭を下げているかというと、原因は先日起こった『トゥスクルの再壊』にあった。

 以前、クンネカムンに攻め入られた時にトゥスクルは近隣の村々、城下を含め多くの損害を被ったが、それでも城は城門が崩れただけでそれ自体には大きな被害はなかった。しかし、先日の騒動では、近隣の村々、城下には被害はなかったが、僅か二日で皇の住まう城が全壊するという信じがたいことが起きた。それによりトゥスクルは大きな損失が出たのだが、何分、自国で自国を滅ぼしたという奇怪な話は滑稽話としか近隣諸国には伝わらず、それまで築いてきたトゥスクルの権威のおかげか、城を再建している間に他国による大々的な侵攻は行われず、幸運にも大事を免れた。

 しかし今、目の前の少女が泣いているのは城が壊れたことではなく、他国による侵攻を免れた喜びの涙なわけもなく、その事件が起こったきっかけと、その結果について泣いているのである。

「っう、…ひっぐ……、ひ、ひどいで…すぅ〜」

 ハクオロの前で泣いている彼女は泣き止む様子もなく、またハクオロも両手をバタバタと振って慌てているだけである。

「えっぐ、あ、あたし……だって、まだ、してもらって……ないのに、式を挙げ…えっぐ……もらってないのに…、あ、あ…たし、あたしは
ずっと前から室に入ってる(、、、、、、、、、、、、)のにーっ! うえええ〜ん」

 そう言って、もうだいぶ前からハクオロの室に迎え入れられていたサクヤはさらに声を上げて泣いた。

 実は、クンネカムンとの戦の前に、今は亡きゲンジマルがハクオロへの援助を頼んだ際に人質としてサクヤはすでに形だけとはいえ室に入っていた。

(……すっかり忘れていた)

 ハクオロはこの事実をすっかり頭の中から消していた。しかもそれだけでなく……

「それに……ハクオロ様が帰って来てからもうずっと経ってるのに、一回も来てくれませんでしたぁ〜。あたしだって心配してたのに、はやく会いたかったのに〜!」

 サクヤの存在をハクオロは忘れていた。サクヤは人質となったときに足の腱をゲンジマルに切られており、自由に城の中を動き回ることは難しい。庭に出る時などの余り段差のない場所なら問題ないのだが、ハクオロのいる政務室や禁裏に向かうのは難しい。だからこそハクオロが会いに来なくては中々会えることはできない。サクヤはそれを信じて待っていたのだが、ハクオロは城に帰って来てから早一ヶ月間、まったく自分の所に会いに来てくれなかったことにサクヤは号泣して訴えていた。

「す、すまない!! サクヤ! いやもう本当にすまない!! っていたたた!」

 そして今こうやってハクオロが土下座して両手をついて謝っているのは、サクヤのことを思い出したからではなく、今ハクオロの頭に思いっきり噛り付いているクーヤが、痺れを切らして禁裏(の代わりの場内に建てられた仮設住居)に駆け込んできたからである。

 そこでようやくサクヤとクーヤのことを思い出したハクオロは頭に噛り付いてきたクーヤをぶら下げたまま全速力でサクヤたちが非難していた仮設住居に駆け込んだのである。

「おろぉ〜、おろぉ〜」

 クーヤはハクオロの頭をかじりながら憎々しくそう唸っていた。

「ひっく……クーヤ様なんてハクオロさんが帰ってきたことを『オロ〜、オロ〜』っていっていち早く気付いていらっしゃったのに……」

 サクヤはそう言って、およよと泣き崩れた。

「うう……す、すまん」

 ここで弁明しても意味を持たないことが分かっていたハクオロはただただ謝るばっかりだった。

「っさ、サクヤ! それにクーヤも、本当にすまない!! この通りだ! 許してくれ! 謝って済むとは思っていない! でも二人のことは大切に思っている! 今更何を言っても信じてもらえないかもしれないが、本当なんだ!」

 そういって更に一層、頭をハクオロは床に付けた。

「………………」
「……おろ〜」

 二人はじっとハクオロを見つめ、その怒りを鎮めていった。




 しばらくして、

「……ハクオロ様、お願いがあります」

 サクヤはそう話を切り出した。

「ああ、なんでもいってくれ」

「…………ぎゅ、っと……」

 サクヤは呟くように言う。

「ぎゅ?」

「……ぎゅっと抱きしめてください。あたしも、それにクーヤ様も。そして……『ただいま』と一言言ってください……」

 そういって、サクヤは頬を軽く染め、少しだけ恥ずかしそうに目を背ける。そしてクーヤも

「おろ〜」

 っと寂しげに、けれど何かを求めるようにハクオロの裾を軽く握った。

「――っ!」

 ハクオロは二人を優しく、けれどしっかりと自分のほうに二人を抱えて、まるでもう放さないと言うかの様に抱きしめた。

「……ハクオロ様ぁ」
「きゃお〜」

 二人から久しく触れられなかった大好きな人の温もりを感じて、気持ちよさそうな声が上がった。

「う、うぅ……」

 ハクオロはその二人の声を聞いて、涙が自然と零れた。

 一つは、自分が、大事だと思っていた二人を忘れてしまっていた罪悪感。
 一つは、それに気づかずに帰ってきた幸せに浮かれていた自分への羞恥心。
 そしてなにより、こんなにも不甲斐無い自分を求めてくれる二人の温かさがハクオロの心に染みたからだ。

「ハクオロ様?」
「お〜?」

 二人は心配そうにハクオロの顔をのぞき込み、その涙をそっと手で拭いた。

「……ああ、何でもないよ。…………これからは時間を作って毎日、ちゃんと、会いに来るからな」

 そう言ってハクオロは二人の頭を優しく撫でた。いつかのハクオロの胡坐を膝枕に二人が横になった時のように。

「わぁ、はふぅ……」
「♪〜♪〜」

 そうしてしばらくの間、二人は幸せそうにハクオロの腕の中で時間を過ごした。





「……ん、んん〜」

 サクヤとクーヤはいつの間にか寝てしまっていた。

「……ぁあ? …………あ!?」

 サクヤは目を覚まし、ずっとそうしていてくれたのか、ハクオロが自分たちを見下ろして優しく頭を撫でてくれていることに気づいた。

「起きたかい?」

「わ! わわわ! すみません! あたしいつの間にか寝てたんですね」

「かまわないよ。私もサクヤとクーヤの可愛い寝顔が見れたしね」

「はう! あうぅぅ」

 サクヤは恥ずかしそうにそう呻いて、ハクオロから顔を逸らす。

「ん〜、サク〜?」

 そうモゴモゴしながらクーヤも起きてきた。

「おはようクーヤ」

 ハクオロが優しくそう言うと、

「ん〜、おは、よう、おろ〜」

「……今クーヤ、おはようって言ったのか?」

 ハクオロは少し驚いたようにそうサクヤに聞いた。

「はい、……実は少しずつなんですけど、ちゃんと話せるようになってきてるんです」

 サクヤは少しだけ寂しそうにそう言った。

「そう、なのか」

「エルルゥ様がいうには、もしかしたら記憶が戻ってきているのかもしれないそうなんです」

「記憶が……」

 ハクオロはそこから言葉が続けられなかった。クーヤが今の幼児のような言葉遣いになったのは過去にあった辛い記憶からの防衛反応だからだ。

「……ハクオロ様、あたしが前に『このままでもいいんじゃないかな』って言ったの覚えてらっしゃいますか?」

「ああ、覚えているよ」

「あたし、今でもそう思います。……この方が幸せなんじゃないかって」

「…………」

「でも、もしかしたらクーヤ様はそう思ってないのかもしれません」

 サクヤはゆっくりと言葉を繋いでゆく。

「今のクーヤ様で過ごされる方が幸せだとあたしは思います。でもそれは本当のクーヤ様が幸せになってるんじゃないんです」

「……ああ」

「……だから、もしクーヤ様が記憶をお取り戻しになったときに、傍でクーヤ様を抱きしめてあげたいと思うんです。ずっとあたしが傍にいますよって」

 サクヤは本当にクーヤのことを想うからこそ、彼女が辛い事を思い出すことになったとしても、自分が支えてあげたいと思うんだろうとハクオロは思う。そしてハクオロも、

「その時は私も、クーヤとサクヤを抱きしめるよ。これかも幸せでいようって」

 彼女たちを想うからこそ、その時から始まる幸せな時間を守ってあげようと思った。

「ハクオロ様…………」

 サクヤは雀のような小さな涙を目に浮かべながら、熱をもった眼差しをハクオロに向ける。

「おろ〜、サク〜、いっしょ」

 クーヤはそう言って二人に間に寝転がる。

「はは、おいでクーヤ」

 ハクオロは優しくクーヤ抱き上げて、また自分の胸に抱いた。

「きゃう〜♪」

 クーヤは嬉しそうに頭をハクオロの胸に押しつける。

「ほら、サクヤもおいで」

「え? ……は、はぃ」

 そしてサクヤもまたハクオロの胸に抱かれた。

「はふぅ」

 幸せそうな声と共に……





 しばらくそうしていて、サクヤがモジモジと身を捩じらし始めた。

「? どうしたんだサクヤ?」

「あぅ、えええっと……その、もう一個我が儘を言ってもいいですか?」

「ああ、いいよ。いってごらん」

 遠慮がちに聞いてきたサクヤにハクオロは優しく答える。

 サクヤもその言葉で顔をパァと花のように輝かせた。

「えっと、あの……あたしにも、その、皆さんになさっているようなことをしてほしいんですけど」

「??? 皆さんというのはエルルゥたちのことかい?」

「は、はい」

 サクヤの言うことは分かるが、一体何をしてほしいのかはハクオロは分からなかった。

「私がエルルゥたちにしていることってなんだい?」

「あうぅ、そ、そのぉ……」

「うん?」

「よ、夜伽を……」

「へ?」

「あたしにも、契らせてくださぃ」

「……な、にぃいいいいいいいいいいい!!」

 サクヤの願いにハクオロは驚きを隠せなかった。

「あううぅ、やっぱりいいです! あ、あたしなんか、あ、足とかも不自由で、きっと身籠っても、皆さんに迷惑かけるだけですし!!」

 そういってサクヤは顔を真っ赤にして言う。しかし、

「あ、あれ?」

 サクヤの目には涙が浮かんで、そして溢れるように頬と伝った。

「お、おかしいですね? あれ、んぐ、どうして?、…ひぐ、あれれ?」

 そう言ってサクヤは何度も手で涙を拭うけど、一向に涙は止まらなかった。

「サクヤ……」

「は、はい。大丈夫えっぐ、です。すぐ止まりますから」

 ハクオロはそんなサクヤを見ていられず、自分の思いをサクヤに告げた。

「サクヤ、私はお前が望むのなら……いや、私はお前と契りたい」

「は、ハクオロ様?」

 ハクオロの言葉に流れていた涙が止まる。

「お前は私の室だ。その……正室はユズハになってしまうのだが、それでも、お前は私の伴侶だ。だから私はお前と子を()したい。足が不自由なんて関係ないよ」

 そう言い終えたハクオロは自分の言葉がうまく伝わったのかを心配したが、

「私も、ハクオロ様とのお子がほしいです」

 杞憂だった。サクヤは嬉しそうに笑っている。

「「………………」」

 二人は少しだけ見つめ合った。そして、その甘い空気に少し緊張したハクオロは視線をはずした。

「え、ええっと、そ、それじゃあ、い、いつにしようかな。はは」

 ハクオロがそういうと

「い、いま」

「へ?」

「今、お願いしたします」

「い、いや、それは、ほ、ほらまだ日も沈みきってないことだし」

「あうぅ、で、でも、今してもらわないと、ドキドキが止まらずに胸が破裂してしまいますぅ」

「し、しかしクーヤもいることだし」

 そう言ってハクオロがクーヤに目を向けると、

「くぅ〜……」

 いつの間にか部屋の隅まで転がって寝息を立てていた。

「…………ハクオロ様、おねがい、いたします」

 サクヤが苦しそうにそう言って、上目づかいでハクオロを覗きこんできた。その眼には僅かにだが、涙も浮かんでいる。

「サクヤ………」

 ハクオロも実際のところ、目の前のサクヤが愛おしくてたまらなかった。そして自分の上着脱ぎ、サクヤに手を伸ばす。

「ハクオロ様ぁ……」

 サクヤがそんな甘い声をだした瞬間。




「ハクオロさーん。お夕食ですよ〜」
「おとーさん、アルルゥお腹空いたー」
「おじさま〜はやくぅ」
「旦那さま、ご夕食の準備が整いました」
「主さまぁ、折角の私の手料理が冷めてしまいますわよ」
「聖上、拙者も腕を振るいました」
「聖上明日の政務についてお話が」
「総大将、この前の件ですが」
「兄者、城の修復の進行具合だが」
「「兄者さま、実は」」
「アウゥウゥウウ〜」

 っとほぼ同時に声がしてサクヤとクーヤの仮設住居の入口が開かれた。


「「「「「「「「「「「「……………………………」」」」」」」」」」」」


 十一人と一匹に映った光景は、

 半裸のハクオロ。

 涙を浮かべているサクヤ。

 部屋の隅で(寝転がって移動したせいか)衣服が乱れてぐったりして(寝て)いるクーヤ。



「「「「「「「「「「「「……………………………」」」」」」」」」」」」

 部屋に静寂が押し寄せる。


「ちょっと待ってくれ。わけを話させてくれ。っていや、けしてやましいことしていたわけじゃないんだ。ちゃんと理由があってだな」
 冷汗が出すぎて顔色が見る見るうちに悪くなってゆくハクオロをよそに、

「……んふ♪」

 エルルゥがまず先に笑った。そして、男五人と雄一匹はこれから起こる惨劇から逃れるために周れ右で逃げてゆく。

「サクヤさん」

「は、はひぃ!!」

 エルルゥのいやに明るい声にサクヤは背筋を凍らせて返事をする。

「ちょっと、
これ(、、)借りてきますね♪」

「え、えっと……」

 サクヤが返事をする前にエルルゥと他五名がハクオロの襟を掴んで引きづってゆく。

「ま、待ってくれ、話せばわかる。きっと聞けば、語るも涙聞くも涙で、理解し合えるはずなんだ! お願いだは、話を、ぐはぁ」

 ハクオロがぐちぐち言っているのをカルラが無言の手刀で悶絶させた。そしてハクオロは異世界の仔牛が売られてゆく歌を頭の中で受信しながら闇へと消えていった。




 後日、ハクオロは城からふた山ほど離れた山中で、体のあちらこちらに重症を負って発見された。

 ハクオロが救助されて目を覚ます間に城の復旧も終わっていた。二十日ほどかけて。


 さらに後日、サクヤは無事に復帰したハクオロと一夜を過ごすことができた。行為も終わったその後に、

「ハクオロ様、この前のことなんですけど、あの後なにが起こったのですか?」

 とサクヤが尋ねると、

「…………すまないサクヤ。そのことを話すと多分私はお前たちと幸せに生きてゆけなくなる」

 そう答えて、一晩中ブルブルと震えていた。

「……よしよし」

 そしてサクヤはそう言って優しくハクオロの頭を一晩中撫でてあげたのだった。




つづく


あとがき
 皆様こんにちわ。そしてこんばんわ。行天です。うたわれ検索でこのサイトに来ていただいている方々、本当にお久しぶりです。
 私、管理人は「うたわれ大好き」と自称している割にとんでもない愚を犯してしまいました。
 クーヤとサクヤの存在を忘れていたのです。
 実はハクオロは二人の存在を忘れてなどいません。忘れるはずがございません。それほどあの戦には意味があったんです。
 なのに私、行天は自分のミスを補うために、ハクオロにその罪を背負わせました。
 懺悔をしたいと思います。アーメン。
 それはそうとして、今回のお話はいかがだったでしょうか? 私が一番好きなキャラはカルラなのですが、今回の作品にはとことんサクヤにケフィアもとい愛情を注ぎました。お楽しみいただけたでしょうか?
 それではよろしければ感想などをお送りください。お待ちしております。
2008年 1月24日 行天大翔





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