序章“受け継ぎし



 朝霧が立ち込め、鳥のさえずりもまだ聞こえないオランウーズの森を疾走する人の影があった。
 息はそんなにあがってはいなかったが、顔には確かな焦りの色が浮かんでいた。
「……ふぅ、……ジールめ、どこに隠れたんだ」
 男は辺りを警戒しながら、ジールと呼んだ男を探していた。
 不意に、男の足元に少し重たい感覚がした。男はそれと同時に瞬時に身を低くしながら飛び退いた。男が飛び退くのと同時に先が鋭利に削られた無数……なんて数じゃないの木の槍が頭上から降ってきた。
「……んなっ!」
 男は驚きを隠せなかった。それは明らかに人を殺す意志、殺意の込められた攻撃だったからだ。
「ジィィール!! どこだ! これは冗談じゃ済まないぞ!!」
 男は怒気を交えた声を上げながら、この罠を張った人物を呼んだ。しかし、辺りはまだ朝方なので、その声は鳥を脅かしただけで冷たく森に溶け込んだだけだった。
「あいつは一体何を考えているんだ……」
 男は呆れたと言わんばかりにため息をついた。少し休むかと注意しながら地面に座った瞬間、
「すきありいぃぃ!!」
 男の頭上から大声をあげて剣を打ち込んでくる影が降ってきた。
「――!! なんの!」
 男は身を翻すと同時に自身が持っていた剣で受け流しながらよけた。攻撃を受け流された落下男はうまく受け身を取りながら転がって間合いを取る。
 お互いに距離を取ったので一息ついて、男は言った。
「ジール!」
 そう怒鳴られたやたら目つきの悪い、まだ十代後半ぐらいの男は顔をしかめながら言う。
「ちっ! あの攻撃をかわせるなんて本当に人間かよ親父殿」
 何やら舌打ちまでした挙句、「親父殿」と呼んだその男に対する謝罪の気持さえないと言った様子だった。
「お前は一体に何を考えてるんだ! あの無駄に手の凝った罠、普通の人だったら死んでいるぞ!」
「当たり前だ! この俺様が作った罠だぞ親父殿。王家の近衛兵だってタダじゃあ済まない代物だ」
 ジールは偉そうに胸をそらした。
「そうではなく、なんで唯の賭け事にこんなものを用意したのか聞いているんだ」
「何を言う親父殿、賭け事とは相手を骨の髄まで絞りとってさらに相手が意識を無くすぐらい精神的にも身体的にも甚振り、やがてその痛みが快楽へと変わり俺様の従順な犬となるありがたい儀式なのだぞ。手を抜いたら俺様に失礼だ!」
 何を当たり前のことを聞いているのだと言いそうな呆れた顔をしながらジールは答える。
「賭け事なんてもんはテキトウにやって勝ったやつが賭けたものもらう。ゲームみたいなもんだろうが!」
「そんな愚民どもが考えるような俗説では俺様の崇高な御心は動かせんよ親父殿」
「…………」
「…………」
 微妙というかだいぶ話の噛み合わない二人はついには黙り込んでしまった。静寂が辺りを包む。次第に朝の日差しが森の中に差し始めた。清々しい朝に相応しくないこの光景の発端は一週間ほど前の話になる。


 その日はジールの十六の誕生日だった。一家三人で机の上の食事を囲んでいるところだ。
「おめでとうジール。あなたももう一人前の男の子ね」
「うむ。ここまで育ててくれて感謝するぞ母殿。これで俺様の世界征服にまた一歩近づいたな。はっはっは!」
 ジールは右足を机の上に乗せながら腕を組んでデカイ口を開けながらごく当たり前のようにとんでもないことを言う。
「まあまあ、聞いたシーゼル。この子ったら『育ててくれてありがとう』ですって、本当に良い子に育ったわね」
 女性は本当にうれしそうにコロコロと笑いながら隣に座っていたシーゼルにそう言った。
「シャロア、それは確かに嬉しいことだが、私はその後ろの言葉に息子の将来が不安でたまらないよ」
 優しく朗らかな笑みのシャロアに、息子のせいで気苦労の絶えないせいで白髪が目立つようになったシーゼルがそう言った。
「ほほほほほ」
「がはははは」
「はぁぁぁ〜」
 一家は三者三様に食卓を囲んでいた。そして、その後の食事はと言うと、
「母殿肉がなくなった。肉をくれ」
「はいはい今日はいっぱい食べなさいね」
 そう言ってシャロアはおもむろに自分の横にあった皿から鳥肉をとってジールの皿にのせた。
「シャロア……それは私の肉だぞ」
 自分の皿の肉を取られて不満そうにシーゼルがそう言うと
「いいのよ。ジールは育ち盛りなんだから。あなたはそろそろ年が年なんだし、お肉とかは控えなくっちゃ。いいわね」
 シャロアは聞き分けのない子供を叱るようにそう言う。
「しかしだな、私だって肉は好物であってだな……」
「い・い・わ・ね」
「……はい」
 世の中には有無を言わせない笑顔というものがある。
「がっはっは、母殿が作る料理はうまいな!」
「あらあら、それならもっと食べなさい」
 シャロアは嬉しそうにしながら、シーゼルの皿の上の肉だけを全てかっさらいジールの皿に入れてやった。
「あぁ、私の肉が……」
 シーゼルはジールの口に運ばれる肉を愛おしそうに眺めながらまたため息をつく。ジールの人格破綻ぶりにも悩まされるが、最愛の妻が子煩悩というのも悩みの種だったりする。
「っんぐ。ところで親父殿」
「なんだジール」
 シーゼルのそんな様子を気にすることなく肉を食べきったジールは唐突にシーゼルの右腕の方を指さして言った。
「誕生日祝いにその腕輪をくれ」
「「――ッ!!」」
 ジールの言葉にシーゼルとシャロアが言葉を無くした。
「ん? どうしたのだ?」
 ジールは不思議そうに頭を傾げる。
「……いや、なんでもないよ。しかし、どうしてまたこの腕輪がほしいんだ?」
 シーゼルは気をおちつけながらそう言った。
「どうしても何も俺様が欲しいと思ったからくれと言ってるだけだ」
 実の父親に頼むとは到底思えない口ぶりでジールは言う。
「そうか……ちょっと待ってろジール」
 そう言ってシーゼルは後ろを振り返りシャロアもそれに合わせた。
(あなた、やっぱりこれって……)
(ああ、間違いないだろうな。私の時もこんな感じだったから)
(そう、……やはり国は滅んでも血は許してくれないのね)
(そうだな。しかし、まだジールには早いような気がするな)
(そうね。まだあんなにかわいいジールがその腕輪の運命を背負うには早すぎるわ)
 シャロアは「よよよ……」と言うかのように泣き崩れる素振りを見せる。
(…………)
 シーゼルはシャロアの度の過ぎた愛情劇を無視しつつ前に振り返る。そしてその眼に映ったのはデザートをガツガツと食べている世界征服を目論む人格破綻な息子。
「…………(こいつにだけはこの腕輪を持たしちゃならん気がする。しかし、腕輪はすでにジールを)」
「ん?」
 シーゼルの様子に気づいたのか、ジールはデザートを食べるのを止めた。
「さっきから何をコソコソとやっているんだ親父殿」
 窃盗事件が起きたらまず見た目で犯人にされそうな目でジールはシーゼルを睨みつける。
「……ジール、どうしてもこの腕輪がほしいのか」
 少し真剣な顔をしてシーゼルがジールに尋ねる。
「ん? いやそこまで欲しいというわけではないのだが、どうにもそれがないとならん気がする。……ふむ、俺様がこれほど無意味に求めているのだ。もしかしたら、売れば相当な金になるのかもしれんな」
「…………はぁ」
 シーゼルは深くため息をついた。
「やはりお前にはやれんな」
「なに? 親父殿、この俺様が欲しいと言ってるのだぞ。しかもわざわざ下々の者の所有物に手を触れるこの屈辱を我慢して」
 そう言ってジールは「母殿、水」と軽くシャロアを顎で使う始末。「はいは〜い」と従うシャロアもシャロアだが。
「父親を下々と称するのをなぜに躊躇わないんだお前は。それにお前は只の田舎猟師の息子だろうが。」
「うむ。それが生まれてきての唯一の汚点だな。しかし、生まれも血も関係ない! 俺様は俺様だ!」
「生まれも血も関係ないねえ……」
 少し自嘲気味にシーゼルはジールの言葉を繰り返す。
「まぁなんにせよお前の腐った性格を直すまでは、先祖代々守ってきたこの腕輪はやれんな」
「そんな小汚い腕輪を守っていたのか我が家系は……まったくもってくだらん風習だな」
 身も蓋もないことをジールはさらっと言う。
「……ともかくだ! お前には爪の先ちょっとでさえこの腕輪には触れさせてやらん!」
 少し興奮気味にシーゼルは答える。
「むむむ、強情だな親父殿。……ふむ、ならこうしよう親父殿。その腕輪で俺と賭けをしよう」
「賭け?」
「ああ、俺様が勝ったらその小汚いが二束三文にはなるだろう腕輪をもらう」
「……しかし、私がそれにのらなくとも構わないだろう?」
「ああ確かに、では俺様が、あり得ないがもしも親父殿に負けたら、その後親父殿の言うことはなんでも聞こう」
「……なんでもか?」
「ああ、なんでもだ。何だったら親父殿にその賭けの方法も選ばせてやろう」
「……ふむ、いいだろう。では賭けの方法は『一本勝負』だ。どちらかが一本、得物自由で決めた方の勝ちだ」
「うむ、よかろう。では、日時は一週間後の早朝、オランウーズの森だ」
「……時間も場所もお前が決めるんだな」
「気にするな親父殿」
「そうよ気にしちゃダメよ。あなた」
 いつの間にか立ち直っていたシャロアもそう言った。
(嫌な予感がするな……)


 予感は的中していた。朝一番で始まったこの勝負も、ジールが開始早々森の中に逃げ込み、その後を追ったシーゼルはジールが仕掛けただろうっというより間違いなく仕掛けた罠の数々に襲われた。罠は後を追うに連れて徐々に高度なものなって行ったためシーゼルも何処で引き返すを見誤ってしまった。
(しかし、ジールが姿を現したということはもう危険な罠はないということか……)
 目の前に対峙するジールを見ながらシーゼルは自分に置かれた状況を推測した。
「ジール、どうやら私はお前を甘やかしすぎたようだ。その性根、叩いてでも直してやる!」
「ふん。ほざけ親父殿。貴様はすでに俺様の術中にはまっている!」
 そう言ってジールは指を微妙に下に逸らしながらシーゼルを指した。
「問答無用! いくぞ!」
 シーゼルはそう叫ぶと同時に風を射抜くような踏み込みで一気にジールとの間合いを詰める。
「ぬっ!」
 ジールはギリギリのところでシーゼルが打ち出した剣撃を身を捩じらしてかわした。
「まだまだあ!」
 シーゼルは次々に剣撃をジールに繰り出す。
「へやぁ! とう! おっと!」
 ジールは寸で寸でのところで攻撃をかわす。
「どうしたジール! 守ってるだけしか能がないのか?」
「たあ! ……フン! ぬかせ親父殿。親父殿こそよく辺りを見た方が良いのではないか?」
「なに?」
 ジールの言葉にシーゼルは辺りを見回す。もう数十歩行ったところに何やら窪みのようなもの見えた。
(あれは……)
 シーゼルがそう思った瞬間、
「そこだあ!」
 ジールがシーゼルの隙をついて反撃してきた。しかし、
「甘い!」
 シーゼルは軽々とその攻撃をはじき、自分に優勢な攻撃を重ねた。
「しゃあ! うら! おう!」
 そう発しながらジールはシーゼルを導くようにうまく攻撃をさばく。
(この動き……やはりあの窪みは――ならば!)
 シーゼルはジールの誘いにのるように攻撃していく。そして、その「窪み」に近付いた。
(ここだ!)
 シーゼルはジールを思いっきり蹴っ飛ばした。
「うおっ!」
 ジールは思ってもみなかったシーゼルの行動に驚きながら窪みの所まで飛ばされ、そして下に空いた「穴」に吸い込まれていった。
 シーゼルは予想通りの展開に僅かに笑みを浮かべた。そして穴の近くまで近づいた。
「哀れだなジール。自分が掘った『落とし穴』に落ちるなんて」
 ジールは上からこちらを見下げたシーゼルを睨んだ。そして、
「……ふふ、はは、がっははははは!」
 大笑いした。
「……? 頭の打ちどころでも悪かったのか?」
 シーゼルは心配そうにジールを見下ろす。
「はははっ! はは……ひぃい、ひいぃ」
 ジールは笑いすぎて息が切れていた。
「ほ、本当に大丈夫か?」
 シーゼルは気が狂ったように笑うジールを哀れに見下ろす。
「ぃ……、はぁはぁ。あ、哀れだな親父殿。実に哀れだ。真に哀れだ!」
 ジールは上から自分を見下ろす父親を哀れだと笑った。
「???」
 シーゼルにはジールが何を言いたいのかわからなかった。
「まさか自分から罠にかかってくれるとはくれるとは!」
「何を言っている。罠にかかったのはお前の方だろう」
「分からないか。分からないのか親父殿。これは『落とし穴』なんかじゃない」
「……なに?」
「これは俺様の安全のための『隠れ穴』なのだよ」
「それはどういう……」
 シーゼルが言い切る前にジールは穴の横に張ってあった縄を切った。勢いよく弾けた縄はそのまま音を立てて空に消えていく。
「それでは親父殿。ご健闘を」
 そう言ってジールは笑った。
 シーゼルがその邪悪な笑顔を見た瞬間、目の前から丸太の軍勢が降りかかってくる。
「なああ!」
 シーゼルは回避するために横に跳ねるが、そこには竹の剣山が地面から飛び出してきた。
「があああ!」
 シーゼルは剣を両手に持ちかえてその腹で受け止めるが、今度は勢いよく石つぶてが襲う。
「だああああ!」
 シーゼルはダメージを最小限に留めるために身を縮めたが、今度は竹を乱雑に組み合わせた球が転がってくる。
「なんだあああこれわああああ!」
 よく見渡すとあちらこちらでトラップの嵐が出来ていた。そしてまだ続くと思われる罠の数々がシーゼルに襲いかかった。
「ぎ、ぎゃあああああああああああ!」
 爽やかな朝のオランウーズの森にシーゼルの悲鳴が木霊した。


 ジールは空を行き交う自分が仕掛けた罠の数々のオーケストラをゆったりとした気分で堪能していた。そして、ボォワ〜ンという間の抜けた金属音が終了の合図を鳴らした。
 ジールはシーゼルの姿を見るべく穴から這い上がった。そして、最後の仕掛けがあった場所へ向う。
「ふははは。やはり俺様の計算は完璧だ!」
 そこには巨大な金だらいと頭にデカイこぶをのせた満身創痍のシーゼルが横たわっていた。
「やはり罠の最後は『金だらい』に限る。これこそ、美学!」
 ジールは満足そうに腕を組んで頷いた。
「……さて、それでは腕輪をもらうとするか」
 そう言ってジールは未だ意識を取りも出さないシーゼルの右腕に付けてある腕輪に触れた。
 その瞬間、腕輪がわずかに鈍い光放ってまるでジールに溶け込むように纏わりついた。
「な、なんだこの腕輪は! 気持ち悪い! ってかキモい!!」
 そう言ってジールは腕を振り回したが、一向に取れる気配がない。そして、ドロドロに溶けていた腕輪はやがてシーゼルの時とは違う形を成してジールの腕に収まった。
「一体何なのだこの腕輪は……」
 ジールが呆然とその腕輪を眺めていると、突然激痛が体を走った。
「がっ! これは! がああ! な、にが…ああああ!」
 そうして何かがジールの頭に流れ込むように押し寄せてくる。そしてジールは眼前が闇に包まれる様にその場に倒れた。
 静かな朝のオランウーズの森に二人の親子が倒れ込む、そんな異様な時間が流れた。



 その場所から約5里ほど離れた丘の上に、黒と白銀を催した鎧に身を包んだ者たちがそこからの景色を見下ろしていた。
「あそこがそうなのか副隊長」
 最も目立つ装飾を施した鎧に包んだ者が隣に居る部下だろう男に尋ねる。
「はい隊長、情報屋の仕事が正確ならば」
「そうか……決行は日没だ。それまでは各自持ち場に付きつつ、待機しておけ」
「はっ!」
 そう言って副隊長とおぼしき人物は部下に指示を伝令しに行った。そしてその場に立ちつくした者はその町を見下ろした。
「ここに居るのか……下劣な王よ」
 その言葉は誰にも聞かれずに風に溶け込んでいった。



第一章へ ※まだリンクされていません。




気に入っていただけたのならポチっとひと押しお願いしますw



長編・連載の門へ   小説分類へ   トップへ