第一話 みぃ姉さんと僕・1


 朝と聞いて「苦しい」と思うのは、羽目を外し飲み過ぎた二日酔いのサラリーと生まれつき超低血圧のお姉さんぐらいだろう。ついでに低血圧っという設定はお姉さんにしか適用されないものだと僕の中の法律で決まっている。
 さて、朝の清々しいはずの朝日がどうにも今日の僕には寝苦しいもののようだ。じりじりと額に紫外線を浴び、何だか息苦しくもある。四肢は動かしているはずなのだが、関節のところで止まってしまう。
 一人暮らしを始めたばかりなので金の節約のために布団は安いものを買ったため、薄く、もう春なのにいつも肌寒い感覚がするはずなのに今日に限ってなにやらぬくぬくと暖かい。実家で飼っていた猫が毎朝僕の上で寝ていたのをほんの少しだけ思い出した。
 ほんの少し思い出したところでやたらと重いものが僕の上に乗っていることに気づく。いくら寝相が悪くても昨日寝る前に読んでいた約一年分のマンガ週刊誌を積み上げることはないだろうから他のものが乗っているのだろう。
「……お、おもい」
 乾燥した喉のせいで、まるで砂漠で枯れてしまった冒険者がたまたま出くわした行商人に水を乞うような声が出てしまった。
――ドスっ
 声を出してすぐに僕の腹部に鈍痛が走った。
「がっ――うえっほ!」
 寝ている間に昨日の夕食は消化されてしまっただろうが、そのために分泌された胃液はまだ残っていたらしく、むせた後すぐに喉が焼けるように痛んだ。
「ぇほ! げぇほ! な、なん…だ!」
 ようやく目を覚ました僕はいきなり自分の無防備な腹を襲撃した原因さんを見た。
「……………………」
 そこには目を吊り上げて、口に一線を引き、腕を胸の前で組んで、僕のマウントポディション見事に奪っていた女性がいた。そして僕にはその女性に見覚えがあった。
「……どうしたんですか? みぃ姉さん、朝っぱらから。ついでに可能でしたら同じアパートとはいえ男の部屋に入り込んでマウントポディションを奪う珍行動の説明もお願いします」
 取りあえず僕は、腹の上にいる社会のマナーを無視した行動をとっている(あざみ) 美韻(みいん)さん、「山の間荘」の住人の間では「みぃ姉さん」として呼ばれてるお方に枯れた声で尋ねた。
「……………………」
 みぃ姉さんは僕の問になんか耳を貸さず、未だ怒ったような顔でこちらを無言で睨みつけていた。
 なんだっていうんだ……
 そうは思ったもののさすがに人の体重がのしかかっているのであまり悠長にしているわけにもいかず、何か話そうと思った。が、その前にみぃ姉さんの格好に目が引かれた。
 普段は暖かそうなちゃんちゃんこを部屋着の上に着て、下は動きやすそうな履きならしたジーンズがちょっとカッコイイ感じのみぃ姉さんだが、今僕の腹の上に乗っているみぃ姉さんはなんというか「外用」だった。
 上は春をイメージしたようなフリルが少しついたレースみたいな服だし、下も脚のラインが綺麗に見える膝下までのジーンズを履いていた。口にも口紅でなく淡いピンク色のリップ系のものを塗っている。怒った顔で台無しだが。
 なんというか今朝のみぃ姉さんはカッコイイというより可愛かった。きっとこれから出かけるのだろう。などと僕は思ったので聞いてみた。
「あれ? みぃ姉さん今日はまた随分とおしゃれですね。どこか出掛けるんですか?」
「……なんだと?」 
 やっと口をきいてくれたみぃ姉さんの一言目はなんだかとても殺意に近いお返事だった。
 あれ? もしかして怒っていらっしゃいます、みぃ姉さん?
「お前、まさか忘れてたのか……」
 どす黒いものがみぃ姉さんの後ろに見えたような気がしたがとりあえず、何の事を言ってるのか僕には分からなかったので聞き返してみた。
「何がで――」
 みなまで言う前に思いっきりみぃ姉さんに顔面をぶっ叩かれた。痛い。一体僕が何をしたというんだ。そんな非難の目をみぃ姉さんに投げ掛けると
ゴスッォリ
 また殴られた。しかも効果音が「ゴスロリ」と聞こえなくもないほど食い込んだ。
「痛いです……みぃ姉さん」
「これは私の心の痛みだと思え」
「意味が分からな――」
ゴォリャ
 僕が言い切る前に、とても女性が放てなさそうな拳が僕の喉ぼとけを襲った。
「ぐごぉおおお!」
 さすがに車に軽く左足のつま先をドラブスルーされても平気なほど、人の痛みと言うやつに鈍感な僕でもキツかった。っというか軽く生命の危機だった。
 仰け反ったおかげで、みぃ姉さんのマウンドポディションを振りほどけたが、それでも僕は暫らく六畳半の室内をのた打ち回った。しかもその間も、みぃ姉さんは間髪入れずに僕の横っ腹を蹴飛ばしてくる。
 一体どうしたっていうんですか、みぃ姉さん? いつもの気さくで優しいみんなのみぃ姉さんはいずこへ?
 そして10分後、気が済んだのか、みぃ姉さんは蹴るのを止めて、まだ喉元を押えて(うずく)っていた僕を無理やり立たせて、自分の前に正座させた。
 僕は喉を擦りながら、みぃ姉さんの阿修羅像みたいな殺人的な目で睨み付けられているのに耐えていた。ちょっと快感に感じてきた僕を誰か褒めてください。
「……今日は何日だ」
 唐突にみぃ姉さんは僕に聞いてきた。
「五月五日です」
 僕はみぃ姉さんに即答した。いくら僕が3回ぐらい話したことのあるやつの名前を一文字もかすらないで間違えるぐらい記憶力が悪くても、みんな大好きこどもの日、ゴールデンウィークの最終日を忘れるはずがない。
 僕のちょっと自信あり気な応答に気を悪くしたのか、みぃ姉さんは眉間をピクっと微動させた。
「……今日は何の日だ」
 苛立っているみぃ姉さんが僕にまた投げかけた。
「? こどもの日ですよ」
 何でそんな分かりきったことをいうのだろう。
「…………その様子だと本当に忘れているらしいな」
 みぃ姉さんの眉間の(しわ)がより一層深くなり、こちらをガン睨みしてきた。
 ダメですよみぃ姉さん。僕気持よくなってきちゃいましたよ。
 …………おっといけない軽くループしてしまった。
 しかしそれにしても、何か僕はみぃ姉さんに怒らせるようなことをしたのだろうか。いや、多分したのだろう。記憶力の悪い僕のことだ、きっと忘れているのだろう。取りあえず謝っておこう。
「すみませんでした」
ゴスッ
 僕の愛しいみぃ姉さんに送った最大謝罪の言葉は、どうやら受け取ってもらえなかったらしい。でも顔は止めてくださいみぃ姉さん。本当に痛いですから。
「お前、何をしたか分からないのに謝っただろう」
 みぃ姉さんにとって僕の安っぽい心を見透かすのは簡単らしい。
「はぁ。すみません。……えっと僕何かしました?」
プチッ
 あれ? 何か最近では死語になりつつある効果音が聞こえたような……
「お前! よくもいけしゃあしゃあとそんなことがぬかせるな!」
「へっ?」
 みぃ姉さんがいきなり僕の寝巻の襟を掴み捩じり上げてきたので間抜けな声がつい出てしまった。
「今日はこの前の、お礼をしてくれる日だろうが!」
「……あっ」
 そう言えば、ついこの間、と僕はみぃ姉さんとあるやり取りをしたことを思い出した。


 もう桜がヒラヒラと散ってきた四月二十九日、日本的にはみどりの日、僕はつい一ヶ月前に引っ越してきたばかりで、右も左も分からない状態だったが、そんな時に親身になって僕に接してくれたのがみぃ姉さんだった。彼女のおかげでわずか二週間である程度の土地勘も身につけることができたし、ゴミを出す日も叩き込まれた。そんな訳でそのお礼をしたいとみぃ姉さんの部屋に僕は訪れていた。
「いいよ別に。お礼なんて」
 みぃ姉さんはまだ仕舞い込んでないコタツに入りながら向かいに座っていた僕に向けて左手を左右に振って軽く微笑んでいた。なんていうかこういう笑い方ができるのは正直うらやましい。
「いえ、でもこんなにお世話になってお礼の一つもしないのは何だか悪いような気がして」
「こういうのは先住者の義務なんだ。そんなに気を使わなくてもいいよ」
 そういってみぃ姉さんは季節外れの蜜柑を抜き始めた。コタツといい、ちゃんちゃんこといい、みぃ姉さんは寒がりなのかもしれない。
 みぃ姉さんは手早く、持っていた蜜柑の半分をもぎ取り「お前も食え」と言って、僕にくれた。
 お礼をしに来た立場なのに施しを受けてしまった。ちょっと強引にいくか。
「別に気を使ってるわけじゃないですよ。みぃ姉さんだから何かしたいんですよ」
「!……あ〜、ん〜、そ、そうなんだ」
 なんだか、みぃ姉さんの頬が少し赤くなったように見える。やっぱりそのちゃんちゃんこは暑いんじゃないのだろうか?
「ええ、なんでもおっしゃってください」
「ん、ああ、いきなりそう言われてもなぁ」
 そう言って、みぃ姉さんは考え始めた。
 しばらくして一通り考え終えたようで、みぃ姉さんが口を開いた。
「そ、そうだなぁ。…………え、えぃ」
「エイ?」
 軽く空耳してみる。
「いや、その、映画がいいかな。……その見てみたいのもあるし」
 少し目線を逸らしてみぃ姉さんは僕にそう言った。
「映画ですか。いいですね。みぃ姉さんはどんな映画見ます?」
 純粋にみぃ姉さんが見る映画に興味があった僕は聞いてみる。やっぱり男気溢れるアクションものか仁侠じみたヤクザものだろうか?
「えっ!? そ、そうだな。……えっと、その、なんだ、……笑わないか?」
「笑いませんよ。たかが映画のジャンルじゃないですか」
「そうだよな! はは、何言ってんだろ私」
 みぃ姉さんは右手を髪の後ろにおいて左手を前に出してぶんぶん振った。
 焦っているみぃ姉さんを見るのはとても新鮮で、なんだかすごく可愛く見える。でもなんで焦ってるんだろう?
「それで、みぃ姉さんが見たいのって何ですか?」
「あ、ああ。それじゃあ……『恋海』が、見たい、かな」
 みぃ姉さんは僕から目線を逸らしてそう言った。
「……『恋海』、ですか……」
 僕は少し、みぃ姉さんを勘違いしていたのかもしれない。やはりみぃ姉さんも女性で、アクションものより、どこぞのホストと妊娠したのなんのという有り触れた恋愛もの方が好きなのかもしれない。
 本当に勝手だとは思うが、僕の中でのみぃ姉さんのイメージが少しだけ崩壊した。でも、うん、少しだけ、少しだけ。
「あ、いや! やっぱりダメだよな。そういうのは男と見に行くもんじゃないよな」
「…………」
 それは、個々それぞれの自由だと思いますが、みぃ姉さん。それよりか僕はそこに行って僕らの前なんかで、肩を寄り添いながらそれを見ているカップルを僕が蹴飛ばしそうなのが心配です。
 そんなことをちょっと考えていると、僕の無言の状態を、みぃ姉さんは「NO」の返事と勘違いしたのか。
「……あ、ん〜、やっぱり映画じゃなくて、別のにしようかな。はは」
 そんなことをみぃ姉さんは目をコタツの上のミカンを見ながら言った。
 ズルイですよ。みぃ姉さん。そんな残念そうな顔を見せられたら、どうにかしてあげたくなっちゃうじゃないですか。
 やはり、こういう事は男の方から誘うのが、もしかしたら僕の中で特に欠如している「常識」なのかなぁ、と思いながら僕はみぃ姉さんに言った。
「わかりました。その映画に行きましょう!」
 自分でも驚くくらい大きな声が出たせいか、みぃ姉さんは少しフリーズしてしまった。
「……あっ、別に無理しなくてもいいんだぞ?」
「いえ、僕もちょうど見たいと思ってたんですよ。ほら、僕って流行とかそういうのに疎いんで」
 半分は本当のことを言っている僕。
「そ、そうか! じゃ、じゃあ、いつにするか決めないとな!」
 嬉しそうにみぃ姉さんはニヤニヤと笑った。
 その顔を見られただけでも、僕としてはお金を払いたいぐらいの笑顔だったので、喜んでもらえているようだ。うん、人間半分は嘘をつかないとね。
「僕は何の予定もない暇な大学生なんで、いつでもオッケイですよ。何だったら明日でも僕は構いませんよ」
「ああ、じゃあ明日……」
 みぃ姉さんは喋っていた途中、考えるように顎にこぶしを添えて眉間に皺を寄せてしまった。
「……? どうしたんですか?」
「…えっと、その、そ、そうだ。私、明日はバイトがあるからちょっと行けないんだよな」
「あれ? みぃ姉さんってバイト、土日だけじゃなかったですか?」
「え? ああ! ほら! もうゴールデンウィークに入っただろ、それで色々と忙しいんだよ」
「なるほどです。そしたらゴールデンウィーク中は時間が取れなさそうですね」
「い、いや、五日のこどもの日は空いてるからその日にしよう。うん」
「分かりました。それじゃあ、時間はどうします?」
「私が後でお前に知らせるよ」
「了解です。じゃあ、話もまとまったんで、そろそろお暇しますね」
「あ、ああ。おやすみな」
「ええ、おやすみなさい」
 そう言って僕は自分の部屋に戻った。
 さっきの様子から見て、みぃ姉さんは随分とその映画にご執心のようだ。
 ちょっと嫉妬。

 その四日後、バイト帰りのみぃ姉さんに、「メールは毎日確認しとけ」と言われたので、毎日五十件以上くる困ったメール主のために放置状態になっていた携帯を僕は見た。同じ送信者のメールの中に一つだけ違った送信者のものが二日前に受信されていた。みぃ姉さんのだ。
“5月5日、10時、谷川山駅の前の昼寝猫像前に集合!”
 と書いてあった。一体何の事か分からなかったので、返信してみた。
“なぜですか?”
 しばらくして、みぃ姉さんから返事が返ってきた。その間にも困ったさんメールが二件ほど来たが、みぃ姉さんのだけを開いた。
“忘れたのか!! 例の映画の件だ!!”
 ……すっかり忘れていた。どうにも僕の記憶力は四日と持たないらしい。
 素直に謝るのは、本当に忘れていたことを相手に教えるようなものなので、とりあえずその件についてだけまた返信した。
“『恋海』楽しみですね。明後日が待ち遠しいです。”
 また半分嘘をつく僕。ついでに映画のタイトルを思い出すのに10分かかった。その間に新たに困ったさんメールが四件入っていた。
 そして、みぃ姉さんの返事が返ってきた。もちろんその間に困ったさんメールが三件入って来て、のち一件は「浮気してないよね?」というものだったが、みぃ姉さんのだけを開いた。
“私も楽しみにしてるw 遅れんなよw”
 うん。機嫌を損なわずに済んだようだ。そう思って僕は携帯の電源を切って、床に置いた。
 しかし、なんでわざわざメールで知らせたんだろうか? 同じ屋根の下に住んでいるのに、それに待ち合わせをする必要はあるんだろうか? 一緒に行った方が楽しいと思うんだけどなぁ。
 …………まぁいいか。とりあえず、明後日を忘れないようにしないと。

 次の日、僕はそのことで出かけた。


 そんでもってその翌日、つまり現在。
 どうやら僕の記憶力は一日と持たないらしい。
 そしてその報いが今こうして、みぃ姉さんから受けている。しょうがないことだ。
「思いだしたみたいだな」
 腸が煮え繰り返るというものを他人を観察して感知できたのは、今日が初めてだった。
「すみませんでした。えっと、今、急いで準備しますんで」
 そう言って徐に着替えようと思ったが、みぃ姉さんは僕の襟を放してくれず、さらに捩じり上げた。
「がぅ、ぅぅぅ、苦しいぃです。みぃ姉さんぅぅ」
「今、何時だと思う。ねぼすけ君?」
 みぃ姉さんは嘲笑うような言い方でそう言った。
 何時ってまだ朝でしょう? 僕は毎朝六時に自然と体が起きるようになってるんですよ。だから今は大体、六時半ってとこでしょう?
 と思いながら、自信満々に時計の方を向くと、
 三時半
 ……あれ? 時計が壊れたのかな? いや、待てよ。そういえば、今朝は六時起きて、何も用事がないから二度寝したんじゃなかったっけ? う〜ん。どうやら僕の記憶力は九時間程度で忘れてしまうものらしい。
 やたらと寝苦しいと感じた朝日は、どうやら昼(ちょっと過ぎ)日だったらしい。
 そんなことを悠長に考えていたら、今にも噴火しそうな活火山の火口いるかのようなとても熱いものを感じたため、冷汗が通常の三倍速で流れた。
「……ええっと、さ、三時半ですね……」
 ぎこちなく僕がそう答えると、
「そうだ。お前がぐぅすか寝ている間、こっちは寒空の下、五時間も待たされたんだ」
 みぃ姉さんはさらに僕の襟を握る力を強くした。
 ぐ、ぐるじぃ。
「それでお前に用事でもできたのかと電話しても出ないし、諦めて帰って来てみれば、お前はそれはもう気持ち良さそうに寝てるじゃないか。なぁ!」
 本当に忌々しそうに、みぃ姉さんは僕の首と体を引き離すかのように襟を交差させる。
 ぎゅ、ぎゅるじぃ。
「しかも起きたら起きたで、すっかり今日の約束をお忘れになってるようじゃないか。女一人をこの寒空の下に五時間もほっといて、いい御身分だな」
 怒りを通り越した様子のみぃ姉さんは、僕の襟を頸動脈が締まるくらい襟を引き絞る。 ……あぁ、段々気持ち良くなってきた。なんだか、お花畑が……み、見える。
 そんな僕の様子を見たのか、みぃ姉さんは投げ捨てるかのように僕の襟から手を離した。 ……げほっ、苦しかった。
「…………」
 みぃ姉さんは無言でまた僕を睨みつけてきた。
 人との衝突は何度か経験したことがあるが、こうも一方的に自分に過失がある状況を体験したことがない僕は、咄嗟にその場を取り作るような言葉しか話せなかった。
「すみませんでした。でも、まだ今から行けば、映画、間に合いますよ。すぐ準備するんで。帰りにどこか食べに行きましょう。奢らせて下さい」
 僕は、思いついた謝罪の言葉を並べた。もちろん。言葉の後にだって気持ちは付いてくるものだから。お詫びをするつもりは満々だ。
「…………はぁ」
 みぃ姉さんはため息をついた。そして、人生で二度目であるその「目」で僕を見た。
 すべての感情を通り越して、ただ虚構を眺めるような目だ。要は、失望されたということだ。
 前に両親が喧嘩して、母親が家を出ていくと言ったとき、母は自分についてくるように僕に言った。しかし、僕は断った。母が何故なのかと聞いてきたので僕はこう答えた。
 父さんの方が経済的に楽できるから。と、
 その時に母はその「目」をしていたことを覚えている。何も期待しない。愕然、失望、落胆、そんな言葉が目には込められていた。ついでに僕はその時八歳だった。
「もう……いい」
 そう言って、みぃ姉さんは僕の部屋を後にした。立てつけの悪い扉の音と共に。
「…………」
 急に静かになった部屋は寂しいものがあった。
 正直、越してきて一ヶ月ちょい、こんな事が起こるとは思わなかった。
 もちろん。僕が約束を放棄して自室で寝ていたことがすべての元凶だ。
 しかし、みぃ姉さんが怒った理由はそれだけじゃないような気もする。
 感情表現が人より乏しい僕は、もしかしたら、口にした一言ひと言が癇に障る言い方になっていたかもしれない。
 みぃ姉さんは寒がりみたいだから、まだこの春のポカポカも、みぃ姉さんには肌に刺すような冷たさだったのかもしれない。
「う〜ん。何か……違う」
 自分でも分かるけど、解らないものがある。
 こういう時に、さわりなく相手と対話ができるようなスキルを持っていたらどれほどいいことかと思う。
 しかし、昔から一人でいることが好きというより、一人でいることが自然であった僕にはそんな能力は一向に身に付くはずがなかった。
 もしかしたら、無理に人に関わったことが不味かったのかもしれない。
 ここの住民は皆、普通とはちょっとだけ違うことに慣れた人たちだから、いや、むしろ、馴れ合いではなく、信頼。たわむれではなく、共存。だから僕はそんな関係が居心地がよかった。
 この一ヶ月色々と非日常的なことが起こった。それでも僕はそんな関係が長く続いていくのも悪くないとも思った。
 でもそれはやはり無理なのかもしれない。
 所詮、僕は僕でしかない。
「でも……」
 やはり、これはとても嫌な感じだ。まるで人を弄んでいるみたいで嫌悪だ。
 どうにか頑張って、みぃ姉さんから信頼を取り戻そう。いや、たった一ヶ月の付き合いで信頼もくそもないが。
 ふと、部屋に机の上に置いてある。包みを見た。
 昨日、みぃ姉さんへのお礼として買ったプレゼントだ。中々見つからなかったので、一日中歩き回って見つけたものだ。
「さて……。どうしようかな」
 部屋にいても、何も思い浮かばなかった。
「ちょっと、出るか」
 そう言って僕は、少し荒れた部屋を後にして、外に出た。
 僕は木山(このやま)緒獅子(おれお)と書かれた名札の下に、「外出中」という札を差し込んだ。 




あとがき
 始まりました新連載。 ……でもまだ最近始めたファンタジーも序章を掲載しただけだし、うたわれSSも未完の状態であります。いい加減な管理人ですねまったく。今回のお話どうだったでしょうか?まぁ最初の方は無茶振りしてましたがw まぁ色々と溜まっていたアイディアを取りあえず書き出して、どんどん完結させていく、みたいな感じで更新していくと思います。それでは次回、お会いいたしましょう。
2007年12月1日 行天 大翔


※この作品でニヤニヤしていただけましたらぜひ、ひと押しお願いします。


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