第二話 帝奈ちゃんと僕・1


 外は、僕の気分とは裏腹に雲ひとつない快晴で、少し風が強い気もするが、まだ傾いたばかりの春の夕日のおかげで暖かかった。
 僕はチラッと隣の「202号室」を見た。いつもと変わらない、あまり扉に相応しいとは言えない厚さの薄い202号室の扉が、今の僕には見るからに重厚で押しても引いても開かない強固なものに感じた。みぃ姉さんの部屋だからだろう。頑なに僕を拒絶しているように見える。
 山の間荘は築三十年のそれなりに歴史のあるアパートで、見た目もけして綺麗とは言えないが、建物は二階建てで、一階が101号室から103号室、二階が201号室から203号室、と一つの階に1DKの部屋が三室あり、部屋はバス・トイレ別で、ネット回線が繋がっていて、各部屋にエアコンが一台ずつ常備してある。駅からも徒歩10分で、家賃も三万五千円とかなり安く立地条件はかなり良い。
 金のない貧乏学生やフリーターにはとても魅力的なこのアパートだが、唯一問題があるのは大屋さんと面談をして入居許可を貰わないと住めないという点だ。みぃ姉さんの話ではこれまで何人もその面談を受けているが、入居許可をもらったのは僕が二年ぶりだそうだ。ついでに僕の部屋は203号室で、みぃ姉さんのお隣さんでもある。
 ……お隣さんなのに喧嘩しちゃったよ。
 がっくしと首をうな垂れながら鉄の階段をカツンカツンと降りていると、カタカタとキーボードを打つ音が聞こえてきた。
 その音をたどって見てみると、アパートの中庭にまだ三ヶ月は早いだろうビーチパラソルを突き刺して、折りたたみ式のビーチチェアにちょこんと座っている女の子がいた。
 僕がそっちの方に近付いていくと、その女の子はノートパソコンの画面から目を離してこちらにその可愛らしいクリっとした目を向けた。
「あら、こんにちわ。みぃ姉さんと喧嘩中のレオ君」
 …………
「相変わらず情報が早いね、帝奈(ティナ)ちゃん」
「ここから一部始終を眺めていたからよ」
 ……朝からとんでもないのもを見られちゃったな。ん? いやもう昼過ぎだっけ?
「……それより僕を呼ぶ時は『君』は取ってちゃんと名前で呼んでほしいんだけど」
「あらどうして?」
「どうにも『君』っていうのは『君主』の『君』に思えてしょうがないんだ。僕は人の上に立つのが苦手だからね、どうしても頭の片隅にその言葉が引っ掛かってむずかゆいんだよ」
「そう、なら私を呼ぶときに『ちゃん』は付けないでほしいわ。私、どうしても『ちゃん』は『ちゃんこ』の『ちゃん』に思えてしょうがないの。私は太ってる人って怠惰なイメージしか浮かばないからお相撲さんとか苦手なのよね」
「残念だけどそれはできないな。だって帝奈ちゃんって呼んだ方が、帝奈ちゃんが百倍可愛く見えるからね」
「そう、じゃあ残念だけどレオ君から『君』は取れないわ。それにレオ君って呼んだ方がレオ君の変な名前が他人に露呈しないで済むもの」
「そう、変な気を使わせちゃって悪いね」
「別に構わないわ。ただ変な名前の人と同じアパートに住んでることを知られたくないだけですもの」
「そうかい」
「そうよ」
 いつも通りのちょっとした言葉遊びをして僕たちは挨拶を交わした。
 僕の目の前にいる、またノートパソコンに視線を戻した少女は、103号室に姉妹で住んでいる二田見 帝奈(ふたみ ティナ)ちゃん。小学五年生。今日みたいに学校のない日は、一日中友達とも遊ばずに株という名の折れ線グラフと睨めっこしているちょっと変わった子だ。お姉さんの凪鶴(なづる)さんが稼いできたお金を、帝奈ちゃんは五倍十倍にして、二田見家の金庫を潤しているらしい(凪鶴さん談)。
 小学生の頃と言えば、僕は実家が比較的田舎だから、川に友達(といっても二人しかいなかったのだが)と泳ぎにいったり、山の中を散策していたりした、そんな年頃のはずだ。いくら少子化プラス高学歴化したとはいえ、友達と遊ぶってのはごく当たり前だと思う。もしかしたら、友達が出来ないからパソコンをいじるようになって、それで株を始めたのかもしれない。……ああ、ちょっと帝奈ちゃんが不憫に思えてき――
「とても失礼なことを言われたようなオーラが見えたわ」
 ………ても、きっとそれは僕の思い過ごしだ。
「帝奈ちゃんはスピリチュアルを信じてるの?」
 僕は感づかれたら負けだとばかりに話を進めた。
「基本的に全然信じてないわ。でも信じてもいいわ。お父さんたちを見つけてくれるなら」
 帝奈ちゃんたちの両親はどこぞの執事ばりに借金を子供に残して逃走を続けているとんでもな方々だ。帝奈ちゃんはクールな性格だが、やっぱり年相応というのか、親がいないと寂しい年頃なんだな。
「そしたら、思いっきり裁判で慰謝料ぶんだくって、ゴミのように刑務所に入れてやるのに」
 ……うん! 今日も帝奈ちゃんは元気いっぱいだ!
「ところでレオ君は、どうしてみぃ姉さんと喧嘩したの? まぁ、大方今日のデートをすっぽかしたが主な原因だとは思うけど」
 急に話を振られたと思ったら、いきなり核心を突かれてしまった。本当に油断の出来ない小学生だよ。
 多分回りくどいことを言ってもイライラさせるだけなので、大まかな要旨だけを帝奈ちゃんに話した。
「……ってわけなんだ」
「レオ君、いっぺん死んでみる?」
「幸いサイトにアクセスした覚えはないから遠慮しておくよ」
「間違えたわ。お願いだから今私の前で首を吊って」
 さっきのみぃ姉さんとのやり取りを説明した途端に帝奈ちゃんは不機嫌になったようだ。ところどころ端折ったりはしたが、誤解を生むような言い方は避けたと思うのだけど、なぜだろう。
「なぜそんなこと言われるのか分かりませんって顔してるわね」
「……僕の知らない間にエスパー能力に目覚めたのかい?」
「残念ね。女性はそんなくだらない力より便利な『女のカン』っていうのが初期装備でつけられているのよ」
 帝奈ちゃんはまだ「女性」じゃなくて「女の子」だと思ったことは黙っておこう。
「ところで、僕には待ち合わせに遅れて映画が見れなかったことしか、みぃ姉さんが怒った理由が分からないんだけど、やっぱり他にあるのかな?」
 何か引っかかるところというより、それがあまり想像できないことなのか、他の要因が頭に浮かんでこない。
「……はぁ」
 帝奈ちゃんは幻滅したというような溜息をわざとらしくついた。
「本当にみぃ姉さんが可哀相だわ。こんないい加減な男が隣に住んでるなんて」
 おやおや物凄く失礼なことを言われたような。
「レオ君。みぃ姉さんが怒った理由を知りたいと本当に思ってる?」
「思ってるよ」
 この問いには即答できる。みぃ姉さんと嫌な雰囲気で関わっていくことほどこのアパートに住んでいて残念なことはないから。
「……なら、それは私に聞くんじゃなくて、自分で考える事よ」
「それでもわからなかったら聞いてもいいかい?」
「とことん最低ねレオ君。最初から他人任せの姿勢で、本当にみぃ姉さんのことを考えているなんてよく言えるわね」
 帝奈ちゃんの口調が少し強くなった。
「本当になんでみぃ姉さんはこんなのが――」
 何か言いかけて帝奈ちゃんは口を閉ざした。
「……。ともかく、自分でもっと考えることね」
 そう言って帝奈ちゃんはパソコンに目を落として、カチカチと操作し始めた。どうやら、もう言うことはないということらしい。僕も散々帝奈ちゃんに絞られたので、黙って外に向かって歩き出した。
「レオ君」 
 アパートの入口の塀に差し掛かったところで、帝奈ちゃんが呼びかけてきた。
「どうしてもわからなかったら、銀杏公園に行きなさい。まだいると思うから」
 それだけ言って帝奈ちゃんはまたパソコンに視線を戻した。
「ありがとう」
 僕はそう返事してやままに荘を後にした。
 帝奈ちゃんはクールだけど優しい女の子だ。正直言ってこの飴と鞭の使い方は僕も見習いたいといつも思う。
 そんなことを考えているとふとある言葉を思い出した。
「愛情の対義語は憎悪ではなく、無関心」
 僕は怒ってもらえることがどんなに幸福なことなのかを忘れていたのかもしれない。
 みぃ姉さんの気持ち。
 どう思ってるのだろうかなんて僕にはわからない。
 でも、帝奈ちゃんは僕を叱ってくれた。
 考えてみよう。悩んでみよう。
 僕はそう思った。



あとがき
 新年明けましておめでとうございます。皆様、今年もよそよそしくお願いいたします。
 最後のうpからはや3週間、去年は何かと理由をつけて更新をサボっておりました。しかも大学をサボタージュしていました。怠惰な管理人ですが今年一年もよろしくお願いいたします。正直に申し上げますと、私、行天は戦略ゲームというやつが大好きであります。日頃から常にどうやられば勝てるのか、次のターンに敵は何を仕掛けてくるのか。考えれば考えるほどワクワクしてきます。特に最近は20−2歳以上からしかできないPCゲームの戦略ものにはまっています。特にアリ○ソフトさんやソフトハ○スキ。ラさんのが良いですねw
 大○司に大○長にラ○スシリーズ、巣○りドラゴンに王○と楽しくて仕方ありませんでした。……え?なぜ過去形だって? それはこの更新の遅さを考えていただければご理解いただけるかとww
 それでは今年一年がビジターの皆様に取って素晴らしい年でありますよう心から願っております。

2008年1月1日 行天大翔



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